スロスのシンプルダイアリー

シアトルからアメリカ生活なんでも雑記ブログです。

おじいさんがずっとずっと好きだったおばあさんのお話

 

もう亡くなってしまったけど、以前知っていたおばあさんのお話です。

 

そのおばあさんは、アメリカ生まれの日系人で、第二次世界大戦で日本がアメリカの敵国だった頃はティーンエイジャーでした。  

 

真珠湾攻撃の後、西海岸に住んでいた日本人やアメリカ生まれの日系人は、住んでいたところを追われて、インターンメント・キャンプ(internment camp)と呼ばれる、日本人や日系人ばかりを集めて抑留したキャンプに連れて行かれ、その中で生活することを強いられました。  主に西海岸に住んでいた日系人が、アイダホやモンタナなど、内陸のいくつかのキャンプに送られました。

 

私は何人もそのキャンプで生活していたお年寄りを知っています。  当時を思い出して話をしてくれる人もいますが、わざわざ聞かなければ話さない事の方が多いような気がします。  たまに質問をすることもあるけれど、私は大抵その話題は出さないようにしています。

 

私が覚えているあるおばあさんは、戦争中、キャンプに入れられていたときは、高校生だったそうです。  何かの時にその当時の話題が出たら、おばあさんは、あの時は人生で一番楽しい時だった、と話してくれました。  戦争中に不便で悲しいインターンメントに入れられて、アメリカ生まれのアメリカ人なのに敵国民扱いされたというのに、一番楽しい時だったなんて、どうして?と聞いたら、それは亡くなったハズバンドに会ったのが、そのキャンプだったからだと答えてくれました。

 

おばあさんは、よっぽどおじいさんが好きだったんですね。  キャンプにいた当時、彼女とおじいさんはどちらも高校生で、一緒に生徒会の役員のようなことをしていたそうです。  彼はとってもハンサムだった、とうっとりしながら話してくれました。  

 

その後その彼と結婚して、お父さん、お母さんになって、いつかおじいちゃん、おばあちゃんと呼ばれるようになるまで、ずっといつも一緒で、幸せな生活だったそうです。  でもそのおじいさんが、何年か前に先立ってしまったんです。

 

私はおじいさんには会ったことがなかったけど、おばあさんはおじいさんのことが大好きだったんだなということはよーくわかりました。

 

ある年の七夕が近い時に、おばあさんと一緒に七夕の飾り付けをしたことがありました。  短冊にお願い事を書くんだよ、と教えてあげたら、英語しかかけないおばあさんは、何枚も、何枚も、I wish I could see you.と、I miss you.と書いていました。  あなたに会えたらなあ、あなたがいなくて寂しいよ、という意味です。

 

もうそのおばあさんも亡くなってしまいました。  きっと天国でおじいさんと再会して、二人で幸せに暮らしているんでしょう。  

 

何十年もおじいさんのことが大好きで、一緒にいられた自分は幸せだ、と言っていたおばあさんは、本当に幸せだったんだなあと思いました。  

 

 

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